王の帰還
王の帰還
かつて、日本がはじめてワールドカップ出場を決めた夜、わずか20歳だった中田英寿を指して、人々は「日本代表に、新しい”王”が生まれた」と讃えた。ジョホールバルの中田英寿は、輝いていた。
それから8年の月日が流れた。
2004年3月のドイツワールドカップ一次予選対シンガポール戦を最後に、中田英寿の姿は日本代表から消えた。
その原因はグロインペイン症候群(もっと端的に言えば股関節の不整合における脱腸のようなものである)。この痛みは同じく日本代表である中山雅史がまだJリーグ加入前のヤマハ発動機時代に悩まされ、完治までに2年近くを要したこともある。
この病を押してボローニャでの出場、日本代表での出場を続けた中田の身体はより深く蝕まれていった。
セリエA新シーズン、フィオレンティーナに移った中田英寿は病からの復活ができず、試合への出場機会はほとんど持つことができなかった。
1年近くもコンスタントに試合に出ていない、出ても怪我を押しての中途半端なプレーのみ。
ほとんどの人は、中田英寿は終わった、と思った。
一方で、ジーコジャパンはその後アジアカップの優勝、薄氷ながらも一次予選突破など、中田抜きの陣容で進んできた。
僕が球を蹴っているチームでは、良いとは言えないが、結局運動量に難のある僕が入っていてもそれなりに勝ってしまい、もっとフレッシュなはずの選手が入ったときに余り勝てないことがある。チームっていうのは熟成が必要なものだってことなんだろう。約1年もの長きに渡り、中田抜きの布陣で熟成されてしまったチームに中田の居場所はない。
ジーコは、アウェーのイラン戦に、中田英寿を起用した。ジーコが我々素人にとっても謎な選択をすることがあるのだが、そのヒトツには熟成とかそういうことを理解していないのではないか、と疑えることである。ジーコのlogicでは、各ポジションに対する序列があり、その序列通りにセレクションを行う。その序列が守られていれば、まったくはじめての組み合わせでも躊躇無く実行に移す。
今回のイラン戦でも、ぶっつけ本番に近い中田-中村の2OMFを置く布陣が試された。個々の選手の能力には疑いはない。しかし、かみ合わない。はっきりとソレは感じられた。そして、イラン戦は敗れた。
しかし、バーレーン戦、また続けて中田は起用された。日本のファーストプレーは、中田が相手を潰すところから始まった。
ボランチだとか、ポジショニングの話というのは、我々はあずかり知らぬ本人の問題だ。しかし、バーレーン戦の中田は、自ら守備を勇気を強く持って行うことで明らかにチームに凜とした空気を注入していた。
8年前、圧倒的な戦術眼と、高い技術、積極的な姿勢で、中田英寿はチームに君臨した。
しかし、今や技術ならば中村や小野のほうが高く、チームを引っ張るだけであれば宮本もいる。中田自身の体のキレも、全盛期には遠く及ばない。実際、バーレーン戦でも信じられないようなミスを犯す中田の姿も見れた。
しかし、そのマイナスを補って余りある、風格と、経験と、実績と。そして何よりもチームを鼓舞しようとする強い意志、これをチームに注ぎ込んでいた。これは、技術に優れるが、辛辣な中村や、人柄が良く、慕われてしまっている小野にはできないことだ。やはり、王と言える男は、中田英寿しかいない。
王は、帰ってきた。
あとは、王がプレーする空間を、熟成していくだけだ。
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